ロシア・ウクライナ戦争⑥ ドンバス攻勢――「第二段階」の始まり(前編)

戦争・戦史

ロシア・ウクライナ戦争は転換点を迎える。

2022年4月初旬、ロシア軍は首都キーウ周辺から部隊を撤退させた。

短期間でウクライナ政権を打倒するという当初の構想は実現しなかったのだ。

ロシア軍は戦略を修正し、主戦場を東部ドンバス地域へ移したのである。

戦車、歩兵戦闘車、装甲車。機甲部隊による高速進撃は姿を消し、その代わりに砲兵火力を中心とした「消耗戦」が始まった。

この戦いは数週間では終わらない。

数か月、そして数年に及ぶ長期戦の幕開けであった。

第6回では、ロシア軍がなぜドンバスへ戦力を集中させたのか、その背景と軍事的意図、そして新たな戦場となるドンバス地域について詳しく解説する。


ドンバス攻勢 前半サマリー

項目 内容
戦争日数 約36~65日目
対象期間 2022年3月末~4月下旬
主戦場 ウクライナ東部ドンバス、ハルキウ州南東部、ドネツク州、ルハンスク州
戦争の段階 キーウ攻略を狙った第一段階から、ドンバス掌握を目指す第二段階へ移行
ロシア軍の状況 キーウ・チェルニヒウ・スームィ方面から撤退し、損耗した部隊を再編して東部へ移送
ウクライナ軍の状況 首都防衛に成功した一方、東部では砲兵・兵力で優位に立つロシア軍の攻勢に備える
ロシア軍の新たな目標 ドネツク州・ルハンスク州の全域掌握と、ドンバスに展開するウクライナ軍主力の包囲
戦闘様式の変化 装甲部隊による高速進撃から、砲撃後に歩兵・装甲部隊を前進させる火力中心の戦いへ移行
戦況 ロシア軍は東部への戦力集中を進めたが、短期間での大包囲には至らず、戦線は消耗戦へ移行
今回の記事テーマ ロシア軍がなぜドンバスへ戦力を集中し、戦争の目的と戦い方をどのように変えたのかを整理する


戦争は「第二段階」へ

2022年3月末、ロシア国防省はキーウ方面での軍事活動を縮小すると発表した。

これに伴い、ベラルーシ方面へ退いた部隊は再編成を受け、その多くが鉄道や車両輸送によって東部へ移動した。

その目標が、ドネツク州・ルハンスク州の完全掌握だった。

ロシア政府は侵攻開始以前から、両州における親ロシア派支配地域を「独立国家」と承認していた。

全面侵攻後は、その支配地域を州全域へ拡大することが軍事目標となる。

ウクライナ軍はキーウ防衛成功により士気は高まり、西側諸国による軍事支援によって装備は増強されつつあった。

しかし、東部では依然としてロシア軍が兵力・砲兵戦力で優位を維持。

戦争はここから、機動力ではなく火力が勝敗を左右する局面へ入っていく。

ドンバスとは何か

(ドンバス地方の画像。赤枠内がドネツク州、青枠内がルハンスク州。 引用元:ウクライナの地方行政区画 – Wikipedia)

ロシア軍が新たな戦場として選んだドンバスとは、ドネツク州とルハンスク州を合わせた東部工業地帯を指す呼称である。

19世紀後半から石炭採掘が発展し、ソ連時代には製鉄、化学工業、発電産業などが集積。ウクライナ経済を支える重工業地帯として知られ、「ウクライナの工場」とも呼ばれてきた。

また、ロシア国境と接していることから物流・鉄道網が発達し、軍事的にも極めて重要な地域である。

2014年以降は親ロシア派武装勢力とウクライナ軍との戦闘が続き、停戦と戦闘を繰り返してきた。

そのため、この地域にはすでに塹壕、防御陣地、監視拠点などが数多く整備されていた。

ロシア軍にとっては、地理的に補給線を維持しやすく、親ロシア派勢力との連携も期待できる戦場だった。

一方、ウクライナ軍にとっても8年近く防衛を続けてきた地域であり、地形や陣地を熟知しているという利点があった。

こうしてドンバスは、双方が絶対に譲れない戦場となっていく。


ドンバス地方の概要(侵攻前)

項目ドネツク州ルハンスク州
面積約26,500 km²約26,700 km²
人口(2021年概数)約410万人約210万人
主要産業製鉄・石炭・機械石炭・化学・発電
主な都市ドネツク、マリウポリ、クラマトルスクルハンスク、セベロドネツク、リシチャンシク
軍事的重要性工業・交通の中心ロシア国境に近接

ドンバスは単なる地方都市ではない。

ここを失えば、ウクライナは重工業地帯の多くを失うことになる。

逆にロシア側から見れば、この地域を確保することでクリミア半島との陸上回廊を強化し、南部戦線(マリウポリなど)との連携も容易になる。

マリウポリ攻防戦はこちらの記事から。


イジューム突出部――ロシア軍の新たな橋頭堡

キーウ方面から撤退したロシア軍はその主力を東部戦線へと移動させた。

ドンバス攻勢開始時、米国防総省はロシア軍が東部・南部戦線に約76個BTG、ウクライナ軍参謀本部は約87個BTGが展開していると評価していた。
(BTGは大隊戦術群。一個で600人から800人規模。50,000から60,000人が展開していた。

その集結地点となったのが、ハルキウ州南東部の都市イジューム(Izium)である。

ここだけでも約25個BTG、約2万人規模が集結していた。

人口約4万5,000人の地方都市にすぎないイジュームが注目された理由は、その地理的位置にあった。

イジュームは、ハルキウ州からドネツク州へ向かう主要幹線道路や鉄道が交差する交通の要衝であり、ここを押さえることで南方への兵站線を確保しやすくなる。

(赤色ハルキウ州と都市イジューム。青色北はドネツク州、南はルハンスク州。 引用元:ウクライナの地方行政区画 – Wikipedia)

2022年3月末から激しい市街地戦が続いたが、
4月1日、ついにロシア国防省はイジュームを掌握したと発表した。ウクライナ側も市街地からの撤退を認めることとなる。

ロシア軍はこの都市を前線基地として改造し、大量の砲兵部隊、装甲車両、補給部隊を集結させる。

ここからロシアはドンバス地方の全制圧を目指すことになる。


イジュームが重要だった理由

項目内容
地理ハルキウ州南東部の交通結節点
補給ロシア本土からの兵站を維持しやすい
作戦ドンバス北部への攻勢拠点
目標スロビャンスク・クラマトルスク方面への進撃

ドンバス包囲作戦

ロシア軍が描いた構想は比較的明確だった。

北方のイジュームから南下する部隊と、ドネツク州方面から北上する部隊を連携させることで、ドンバスに展開するウクライナ軍主力を包囲するというものである。

これは軍事用語で「挟撃(包囲)」と呼ばれる典型的な作戦であり、成功すればウクライナ軍に大きな打撃を与えられる可能性があった。

しかし、この計画は当初の想定どおりには進まなかった。

ウクライナ軍は2014年以降、ドンバス地域に塹壕や防御陣地を整備しており、地形にも精通していた。

さらに、西側諸国から供与された対戦車兵器や無人機なども活用し、ロシア軍の前進を各所で阻止した。

その結果、ロシア軍は短期間での包囲に失敗し、戦線は次第に膠着していく。

ウクライナ東部で破壊されたロシア戦車。ロシア・ウクライナ戦争では多数の戦車・装甲車が破壊された。

(ウクライナ東部のロシア軍戦車。 引用元:Mil.ru, CC 表示 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=117295981による)


ロシア・ウクライナ戦争は「火力戦」へ

ドンバス攻勢で最も大きく変化したのは、戦闘の様式である。

侵攻初期には、機甲部隊が高速で前進し、空挺部隊が空港や主要施設を制圧する「電撃戦」が試みられた。

しかし、東部ではその戦法は限定的となり、代わって主役となったのが砲兵だった。

ロシア軍は榴弾砲、多連装ロケット砲、自走砲などを集中投入し、数時間から数日にわたる砲撃で防御陣地を破壊した後、歩兵や装甲部隊を前進させる戦術を多用した。

こうして戦争は、短期間で決着を目指す戦いから、補給能力・砲弾・兵員の消耗を競う長期戦へと姿を変えた。


戦況進行イメージ(2022年4月)

時期ロシア軍の動き戦況
3月下旬キーウ方面から撤退戦略を見直し
4月上旬東部へ兵力再配置部隊再編
4月中旬イジュームへ集結ドンバス攻勢開始
4月下旬スロビャンスク方面へ前進消耗戦へ移行

まとめ

キーウ攻略を断念したロシア軍は、東部ドンバスへ戦力を集中させることで、戦争の目的と戦い方を大きく転換した。

イジュームから開始されたドンバス攻勢は、砲兵火力を主体とした長期消耗戦へと発展していく。

そして、その最初の激戦地となるのがセベロドネツクリシチャンシクであった。

次回予告

後編では、ロシア軍が圧倒的な砲兵火力を投入したセベロドネツク・リシチャンシク攻防戦を中心に、戦争が本格的な長期消耗戦へと移行していく過程を詳しく解説する。

参考資料・外部リンク

ドンバス攻勢・戦況分析

ロシア軍の再配置・大隊戦術群

NATO・国際社会の評価

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