2022年2月24日午前5時前。
ロシアのウラジーミル・プーチン大統領はテレビ演説で、「特別軍事作戦」の開始を宣言した。
その数分後、ウクライナ各地で爆発音が響き渡る。
巡航ミサイルや弾道ミサイルが軍事施設へ降り注ぎ、地上部隊は北・東・南の三方向から国境を越えた。ヨーロッパでは第二次世界大戦後最大規模となる戦争の幕開けである。
前回の記事では、ロシア軍の大規模集結、外交交渉の決裂、そしてアメリカ情報機関が侵攻を警告していた経緯を解説した。
しかし、世界の多くはなお「全面侵攻までは起きない」と考えていた。
その予想は、2022年2月24日の夜明け前に覆される。
今回はロシア・ウクライナ戦争の開戦初日の動きに焦点を当て、ロシア軍はどのような作戦を描いていたのか、ウクライナはどのように初動対応したのかを、時系列で詳しく解説する。
開戦初日サマリー
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 戦争日数 | 1日目 |
| 日付 | 2022年2月24日 |
| 主な戦場 | キーウ周辺、ホストメリ、ハルキウ、ドンバス、ヘルソン州、ウクライナ各地の軍事施設 |
| ロシア軍兵力 | ウクライナ周辺に約15万~19万人、約120~140個の大隊戦術群を展開したと推定 |
| ウクライナ軍兵力 | 正規軍約20万人規模を基盤とし、国家親衛隊・国境警備隊・予備役などを動員 |
| ロシア軍の主な作戦 | ミサイル・航空攻撃、四方向からの地上侵攻、ホストメリ空港への空挺作戦 |
| 主な侵攻方向 | ベラルーシ方面、ロシア北東部方面、ドンバス方面、クリミア方面 |
| ロシア軍の狙い | ウクライナ軍の指揮・防空能力を弱体化させ、首都キーウと政府中枢へ早期に圧力をかける |
| 開戦初日の転換点 | ホストメリ空港の滑走路が損傷し、ロシア軍の大規模空輸構想が遅延 |
| ウクライナ側の対応 | 防空・航空戦力の一部を維持し、各戦線で組織的な抵抗を継続 |
| 政治的状況 | ゼレンスキー大統領と政府中枢がキーウに残り、国家機能を維持 |
| 開戦初日の戦況 | ロシア軍は各地で前進したが、ウクライナ軍の指揮系統と政府機能の早期崩壊には失敗 |
| 今回の記事テーマ | ロシア軍の短期決戦構想が、なぜ開戦初日から想定どおりに進まなかったのかを整理する |
午前5時前──「特別軍事作戦」の開始
2022年2月24日午前5時前(モスクワ時間)。
ロシア国営テレビを通じて、プーチン大統領は国民向けの演説を行った。
その中で、ウクライナへの軍事行動を「特別軍事作戦(Special Military Operation)」と呼び、全面戦争ではないと位置付けた。
演説では、主な目的として次の2点が挙げられた。
- ウクライナの「非軍事化(Demilitarization)」
- ウクライナの「非ナチ化(Denazification)」
ロシア政府は、「ウクライナ東部の住民を保護するため」「ロシアの安全保障を守るため」と説明し、軍事行動の正当性を主張した。
一方、ウクライナ政府および欧米諸国は、これらの主張を受け入れず、主権国家に対する武力侵攻であり、国際法違反であると強く非難した。
国連のアントニオ・グテーレス事務総長も、「平和にチャンスを与えてほしい」と最後まで侵攻中止を呼びかけていたが、その願いは届かなかった。
演説の最後でプーチン大統領は、外国が軍事介入すれば「歴史上経験したことのない結果に直面する」と警告し、欧米諸国を強く牽制した。
その後、ウクライナ東部の親露派勢力「ドネツク人民共和国」「ルガンスク人民共和国」を国家として承認。
やがてウクライナ全土で爆発音が響き始める。
戦争は現実となった。
ロシア政府とウクライナ・欧米側の主張
| ロシア政府の説明 | ウクライナ・欧米側の見解 |
|---|---|
| 「特別軍事作戦」である | 全面的な武力侵攻である |
| 東部住民の保護 | 侵攻の正当化にはならない |
| ウクライナの非軍事化 | 主権侵害に当たる |
| 非ナチ化 | 根拠が示されていないとの批判 |
夜明け前の一斉攻撃――「ショック・アンド・オー」
プーチン大統領の演説から間もなく、ロシア軍はウクライナ各地へ大規模な攻撃を開始した。
攻撃に使用されたのは、巡航ミサイル、弾道ミサイル、航空戦力、長距離ロケット砲などである。
最初に狙われたのは都市そのものではなかった。
ロシア軍が優先的に攻撃したのは、
- 防空レーダー
- 地対空ミサイル基地
- 空軍基地
- 指揮通信施設
- 弾薬庫
- 軍用飛行場
といった軍事インフラである。
これは敵軍の指揮・通信能力や航空戦力を初動で弱体化させることを狙う、現代戦では一般的な作戦であった。
特に、キーウ、ハルキウ、ドニプロ、オデーサ、イワノフランキウシクなど、東西を問わず複数地域で攻撃が確認され、ウクライナ全土が同時に戦場となった。
軍事専門家の中には、この初動を2003年のイラク戦争で米軍が実施した「ショック・アンド・オー(Shock and Awe)」と比較する声もあった。ただし、ロシア軍の作戦は兵力構成や目標設定など多くの点で異なり、同一の作戦と評価することはできない。
ロシア側の狙いは、短期間でウクライナ軍の指揮能力を混乱させ、政治・軍事指導部へ圧力をかけることにあったと考えられている。
しかし、この段階でウクライナ軍の指揮系統は完全には麻痺しなかった。
一部の航空機は事前に分散配置され、防空部隊も活動を継続していた。
初動で決着をつけるという構想は、開始直後から想定どおりには進まなかったのである。
開戦初日に優先して攻撃された主な目標
| 攻撃目標 | 目的 |
|---|---|
| 空軍基地 | 航空戦力を地上で無力化する |
| 防空レーダー | 防空網を弱体化させる |
| 指揮・通信施設 | 軍の指揮命令系統を混乱させる |
| 弾薬庫・補給施設 | 継戦能力を低下させる |
| 軍用飛行場 | 航空機や空挺作戦の優位確保 |
四方向から始まった侵攻――「電撃戦」での首都制圧
ミサイル攻撃とほぼ同時刻、ロシア軍の地上部隊は国境を越えた。
ロシア軍は約15~19万人、約120~140個BTG(大隊戦術群)を国境周辺に展開し、北・北東・東・南の複数正面から、ほぼ同時に進撃を開始した。

(赤枠内が2022年2月24日のロシア支配領域。 引用元:ウクライナの地方行政区画 – Wikipedia)
北部戦線
最大の脅威は、ベラルーシ側から首都キーウへ向かう部隊だった。
ロシア軍はベラルーシ国内で実施していた合同演習の兵力を活用し、チェルノブイリ立入禁止区域を経由して南下を開始した。
首都までの距離は約150km。
ロシア側は短期間でキーウ近郊へ到達し、政権中枢へ圧力をかける構想だったとみられている。

(2022年3月頃の侵攻イメージ。露同盟国ベラルーシは国境を解放し、ロシアはここを起点に侵攻した。赤枠:ロシア占領地、青枠:ロシア部分的占領地。 引用元:ウクライナの地方行政区画 – Wikipedia)
北東部戦線
ハルキウ方面では、国境を越えた部隊が市街地周辺へ接近した。
ハルキウはロシア国境から約40kmと近く、開戦当初から最前線の一つとなった。

(2022年3月頃の侵攻イメージ画像。ハルキウはウクライナの工業の中心地域。赤枠:ロシア占領地、青枠:ロシア部分的占領地。 引用元:ウクライナの地方行政区画 – Wikipedia)
東部戦線
ドネツク州・ルハンスク州では、2014年から続く戦闘地域を基盤に親ロシア派勢力とロシア軍が連携して攻勢を開始した。
ここでは既存の前線が存在していたため、他地域とは異なる形で戦闘が進んだ。

(侵攻イメージ画像。ウクライナ東部の親露勢力を足がかりに進軍した。赤枠:ロシア占領地、青枠:ロシア部分的占領地。 引用元:ウクライナの地方行政区画 – Wikipedia)
南部戦線
クリミア半島から北上した部隊は、ヘルソン州方面へ進撃した。
クリミアは2014年以降ロシアが実効支配しており、大規模な兵站基地として機能していたため、南部戦線では比較的速いペースで前進した。
さらに、黒海艦隊も沿岸部で活動を開始し、ウクライナ海軍への圧力を強めた。

(侵攻イメージ画像。メリトポリには国際的に重要な機関産業が存在する。赤枠:ロシア占領地、青枠:ロシア部分的占領地。 引用元:ウクライナの地方行政区画 – Wikipedia)
ロシア軍の主な侵攻ルート
| 方面 | 主な目標 | 戦略的目的 |
|---|---|---|
| ベラルーシ方面 | キーウ | 首都制圧・政権への圧力 |
| ロシア北東部方面 | ハルキウ | 東部への圧力・兵力拘束 |
| ドンバス方面 | ドネツク・ルハンスク | 支配地域の拡大 |
| クリミア方面 | ヘルソン・メリトポリ | 南部回廊の確保・クリミアへの補給強化 |
ロシア軍の作戦は、正面から領土を占領することが目的ではなかった。
首都キーウを短期間で包囲し、ウクライナ政府を降伏または確保する
――それが開戦当初の構想だったと多くの軍事専門家は分析している。
その計画の成否を左右する重要な戦いが、キーウ近郊のホストメリ空港で始まろうとしていた。
ホストメリ空港の戦い――初日最大の攻防戦
2022年2月24日午前。
首都キーウの北西わずか20kmに位置するホストメリ空港(アントノフ空港)。
この地で開戦初日を象徴する戦闘が始まった。
この空港は単なる地方空港ではない。
世界最大級の輸送機An-225やAn-124を運用していたアントノフ社の拠点であり、大型輸送機が離着陸できる長大な滑走路を備えていた。

(ソ連開発の航空機An-225。 引用元:By Myroslav Kaplun – http://spotters.net.ua/file/?id=119445&size=large, CC BY-SA 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=72908206)
午前中、ロシア軍のヘリコプター部隊が低空飛行でドニエプル川を越え、ホストメリ空港へ接近。

(2月24日、ロシアから飛来する攻撃ヘリ。 画像引用元:https://pbs.twimg.com/media/FMXbu0bXMAQya8_.jpg:large)
攻撃ヘリコプターKa-52や輸送ヘリコプターMi-8が次々と飛来し、空挺部隊が空港周辺へ降下した。
ロシア軍は空港の一部施設を制圧し、一時は滑走路を掌握したと発表した。
しかし、ここで事態はロシア軍の想定どおりには進まなかった。
ウクライナ国家親衛隊と正規軍は激しく抵抗し、砲兵や航空戦力を投入して反撃を開始する。
滑走路は戦闘によって損傷し、ロシア側のヘリ2機が撃墜。
一度撤退したが、2月25日に地上侵攻部隊の進出に合わせて第二波攻撃を実施。最終的に空港周辺を確保した。
しかしロシア軍が描いていた「開戦初日に大規模な空輸で首都攻略を決める」という構想は崩れた。
多くの軍事研究者は、このホストメリ空港の戦いをロシア軍最初の大きなつまずきの一つとして位置付けている。
また、この戦闘で世界最大の航空機An-225「ムリーヤ」は格納庫内で損傷し、その後焼失が確認された。
冷戦終結後の航空史を象徴する機体の喪失は、戦争の破壊力を世界へ印象付ける出来事となった。

(2月24日、炎上するAn-225「ムリーヤ」。 画像引用元:https://pbs.twimg.com/media/FMpFlv_XoAEzbsf.jpg:large)
ホストメリ空港を巡る攻防
| ロシア軍の構想 | 実際の結果 |
|---|---|
| 空挺部隊が空港を奇襲占領 | 一時的に施設を制圧 |
| 大型輸送機で増援部隊を空輸 | 滑走路損傷などにより計画は実現せず |
| 首都攻略の橋頭堡を確保 | キーウへの迅速な突入は実現しなかった |
大統領は首都を離れなかった
開戦初日、ロシア軍が首都へ迫る中で世界中が注目したのが、ウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領の動向である。
多くの専門家は、ロシア軍の進撃速度を考えれば、政府中枢は国外へ退避する可能性もあると予想していた。
しかし、ゼレンスキー大統領はキーウに留まることを決断した。
25日夜、大統領府周辺で撮影された動画には、ゼレンスキー大統領と政府高官らが並び、
「私たちはここにいる。ウクライナを守る。」
と述べる姿が映し出された。

(2022年2月25日夜、キーウにて。 引用元:「私たちはここにいる、独立を守る」 首都からウクライナ大統領が政府幹部と – BBCニュース)
この短い動画はSNSを通じて世界中へ拡散され、ウクライナ国民だけでなく各国世論にも大きな影響を与えた。
また、当時はアメリカ政府から退避支援が打診され、それに対しゼレンスキー大統領が
「弾薬が必要なのであって、退避手段ではない(I need ammunition, not a ride.)」
と応じたという報道が世界的に広まった。
(しかし、公式記録で確認できる直接の発言ではなく、報道機関によって伝えられた内容である)
このエピソードが示す「首都に残って戦う」という姿勢は、当時のウクライナ政府の方針を象徴するものとして広く受け止められた。
戦争では兵器だけではなく、指導者の行動も戦況を左右する。
開戦初日、ゼレンスキー大統領が首都に残ったことは、ウクライナ軍と国民の士気を維持する上で大きな意味を持った。
「大番狂わせ」はなぜ起こったのか
侵攻開始当初、多くの海外メディアや軍事専門家の間では、ロシア軍が短期間でキーウを制圧する見方が多くを占めていた。
ロシア軍は侵攻開始時点で、約15万~19万人規模の兵力をウクライナ周辺へ集結させ、戦車・装甲車・航空戦力・ミサイル戦力でも優位に立っていた。
しかし、現実はロシア軍の想定どおりには進まなかった。
その理由として、主に次の点が挙げられる。
① ウクライナ軍の抵抗
2014年のユーロマイダン運動や東部紛争発生以降、ウクライナは砲兵力の増強に注力。
親露政権下で行われていたミサイル・砲兵部隊の削減を転換した。
砲兵旅団の新設、ドローンの偵察体制の構築を含む軍改革を実行し、近代的な軍隊に生まれ変わっていた。
ロシア軍は短期間で政府機能が混乱すると見込んでいたが、ウクライナ軍は各地で組織的な抵抗を継続した。
② ホストメリ空港での作戦遅延
空挺作戦が想定どおり進まず、第一波攻撃は失敗。
首都近郊へ大規模な増援を迅速に送り込む構想は実現しなかった。
③ ロシア軍の準備不足
ロシア軍全体に侵攻計画が周知されたのは侵攻の1日前だった。
これは計画の漏洩を防ぐための措置だったが、結果的に
- 部隊間の情報共有方法
- 個人装備の充足
- 燃料・弾薬の補給体制
などが整わないままの侵攻となった。
支給品の横流しが軍内で横行していたため、個人装備も十分に行き渡らず、士気も低かった。
こうした問題は、その後キーウ方面で長大な車列が停滞する要因の一つとなる。
④ ロシア軍の陸空連携の欠如
ロシア空軍は開戦初日に
- 防空レーダー
- 地対空ミサイル基地
- 空軍基地
- 指揮通信施設
- 弾薬庫
- 軍用飛行場
といった軍事目標にミサイルやロケット攻撃を加えていたことは第3章で述べた。
しかし、一つ問題があった。
陸軍と連携したインフラ攻撃がほとんど成されなかったことだ。
兵站やインフラの破壊を怠ったことで、
結果的に、ウクライナ陸軍に配置転換の余裕を与え、自軍のスムーズな進軍を妨げることになった。
開戦初日時点の戦況
| 項目 | 状況 |
|---|---|
| ロシア軍の侵攻 | 北・東・南の複数方面から開始 |
| キーウ | 防衛を維持 |
| ホストメリ空港 | 激戦となり、ロシア軍の初期構想は遅延 |
| ウクライナ政府 | キーウで活動を継続 |
| 国際社会 | 侵攻を非難し、制裁と支援を開始 |
まとめ
2022年2月24日は、第二次世界大戦後のヨーロッパの安全保障を大きく変えた一日となった。
ロシア軍は圧倒的な軍事力を背景に、ミサイル攻撃と四方面からの地上侵攻を同時に実施し、短期間でキーウを制圧する構想を描いていたと考えられている。
しかし、ホストメリ空港での激戦、ウクライナ軍の組織的な抵抗、ゼレンスキー大統領が首都に留まったことなどにより、「短期決戦」は初日から想定どおりには進まなかった。
開戦初日は、ロシア軍が優位を示した一日であると同時に、ウクライナが国家として抗戦を続ける意思を世界へ示した一日でもあったのである。
次回予告
ロシア軍は首都まで迫りながら、なぜ攻略に失敗したのか。長大な車列の停滞、補給の混乱、市街地防衛、そして3月末のキーウ方面撤退までを、時系列で詳しく解説する。
参考資料・外部リンク
ウクライナ政府・大統領府
国際連合・国際法
米国政府・軍事情報
戦況分析・軍事研究
- Institute for the Study of War:Russian Offensive Campaign Assessment, February 24, 2022
- Institute for the Study of War:Russian Offensive Campaign Assessment, February 25, 2022
- CSIS:Russia’s War in Ukraine—Identity, History, and Conflict
- CSIS:ロシアによるウクライナ侵攻の軍事・戦略的分析
- IISS:Russia’s Military Assault on Ukraine
ホストメリ空港・ウクライナ軍の初動


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