
銀行から会社へ人が来たら、ちょっと安心しない? お金のプロが見張ってくれそう!

再建のために銀行員を送り込むことはある。だが、肩書だけで監視になるとは限らないぞ。

えっ、銀行出身の社長がいても会社が暴走するの? じゃあ誰が止めるのよ!

その問いが、イトマン事件のいちばん怖いところなんだ。
イトマンは、1883年創業の伊藤萬を前身とする名門商社でした。
ところが裏では、銀行の難しい案件を抱える別の顔も育ちます。

名門商社に裏の顔!? いきなり話が物騒すぎない?
霊夢さん、最初から怪しい会社だったわけではありません。
むしろ住友銀行が深く支えたからこそ、信用された会社です。
その信用が、巨額の資金を動かす入口にもなってしまいました。
①住友銀行の歴史――企業を救って強くなった銀行
住友銀行は1895年、大阪で住友家の事業を支える銀行として開業します。
戦後は融資先を広げ、都市銀行の一角として急速に成長しました。

昔から巨大だったというより、戦後の企業融資で存在感を増したんだな。
転機は1970年代です。取引先の安宅産業が経営危機に陥りました。
住友銀行は伊藤忠商事との合併をまとめ、破綻処理を主導します。
交渉を率いた磯田一郎は、その実績を背に1977年に頭取へ就きます。

大きな商社を片づけて頭取に! それなら社内で英雄扱いになりそうね。
はい、霊夢さん。企業を立て直す力は住友銀行の看板になりました。
東洋工業やアサヒビールの再建でも、銀行は強く経営へ関わります。
「困った会社へ入り込み、再生させる」成功体験が積み上がりました。

成功するほど、「今回も銀行が管理できる」と思いやすくなるわけか。
いい着眼です、魔理沙さん。強みは過信と隣り合わせでした。
積極融資と強い営業で、住友銀行は収益上位へ躍り出ます。
一方で磯田の権限も強まり、後に「住銀の天皇」と呼ばれました。

天皇って……! 上が強すぎたら、危ない融資でも「待った」が言えないじゃない!
その危うさが、イトマンとの関係で一気に表へ出ます。
②イトマンの登場――銀行が送り込んだ社長
伊藤萬は繊維を中心に扱い、「天下のイトマン」と呼ばれた老舗です。
表の顔は、衣料や食料などを売る、社会に根を張った上場商社でした。
しかし繊維産業の環境変化に苦しみ、財務も不安定になります。

ここで住友銀行が助けに来るのね。今までの得意技じゃない!
そう見えますよね、霊夢さん。銀行は資金と人材を送りました。
住友銀行出身の河村良彦は、1975年に伊藤萬へ移ります。
河村は副社長を経て、1983年に社長へ就任しました。

銀行の監視役が、融資先そのものを動かす社長になったわけだ。
ここで監視する側と、経営する側の境目が薄くなりました。
イトマンは銀行の信用を得て、本業以外へ事業を広げます。
不動産開発、金融、ホテルなど、資金の重い分野が増えました。

繊維商社がホテルに金融!? 何でも屋になりすぎじゃない?
バブル期は土地が上がり、借金さえ成長の燃料に見えました。
ですが、イトマンの意外性は事業の多さだけではありません。
図解:イトマンが持っていた二つの顔
- 1883年創業の長い歴史
- 繊維・食料などの実業
- 上場会社としての信用
- 住友銀行が支える安心感
- 不動産・金融への急拡大
- 複雑な株式・土地取引
- 銀行に代わる調整役
- 外部人物との不透明な取引
「裏の顔」は刑事認定のない全取引を犯罪と呼ぶ意味ではなく、外部から見えにくい役割を示します。
③イトマンの裏の顔――銀行の別働隊から絵画取引へ
1986年、住友銀行は平和相互銀行を吸収合併します。
狙いは、弱かった首都圏の店舗網を一気に手に入れることでした。
ただし相手には、株主争いと不透明な融資が絡んでいました。

店舗は欲しい。でも銀行が直接触りにくい案件まで付いてきたんだな。
そこでイトマンが、株式取得や関係整理に深く関わりました。
支援される商社が、今度は銀行を助ける側へ回ったのです。

待って! 銀行に助けられた会社が、銀行の後始末をするの!? 関係が逆転してる!
その通りです、霊夢さん。互いに切れない関係が生まれました。
河村の立場も強まり、銀行側から異議を唱えにくくなります。
そこへ不動産業者の伊藤寿永光が、経営企画監理本部長として入ります。
さらに許永中らの関連会社を介した取引も膨らんでいきました。

外の人間が、上場商社の巨大な信用へ近づいたわけか。
ええ、魔理沙さん。しかも舞台は値段が読みにくい市場でした。
その象徴が、短期間に繰り返された大量の絵画取引です。
最高裁決定は、著しく高い価格での購入による損害を認定しました。

絵の値段なんて人によるでしょ? 高く買っただけで何が分かるの?
いい疑問です、霊夢さん。だから取引の経緯が重要になります。
裁判では仕入価格との差や、後から作られた評価書も検討されました。
絵画は定価がなく、価格を膨らませても外から見抜きにくい資産です。

値札が曖昧だから、余分な金を取引の中へ隠しやすいんだな。
イトマンは不動産関連でも、巨額の資金を外部へ動かしました。
1990年には借入金が約1兆2,000億円規模と報じられます。

い、1兆2,000億円!? それ全部、闇に消えたの!?
いいえ、霊夢さん。これは会社全体の借入金の規模です。
問題取引額、裁判の損害額、最終損失とは同じ数字ではありません。

全部が事件の被害額ではない。それでも商社の借金として異様な重さだな。
まさにそこです。大きな借金が、銀行の逃げ道を塞ぎました。
④追い詰められる住友――止めれば自分も傷つく
なぜ住友銀行は、融資を止めて経営陣を替えなかったのでしょうか。
知らなかっただけ、と片づけるには関係が深すぎました。
しかし、銀行がすべてを計画したと断定するのも正確ではありません。

被害者か黒幕か、どっちかじゃないの? いちばんモヤモヤするやつ!
霊夢さん、住友銀行には複数の立場が重なっていました。
融資元であり、人材の送り手であり、難案件を頼んだ当事者です。
問題を公にすれば、イトマンだけでなく銀行の責任も問われます。

切れば損失が出る。支えれば、さらに深く足を突っ込む。逃げ道がないな。
はい、魔理沙さん。しかも損失を確定する決断は重いものです。
追加資金で時間を稼げば、土地が戻る期待も当時は残りました。
その期待が外れるほど、金額も責任も大きくなっていきます。
図解:住友銀行まで追い詰められた循環
銀行がイトマンを資金と人材で支える
イトマンが銀行の難案件を引き受ける
不動産・絵画取引と借入金が膨張
止めれば損失と銀行責任が表面化
一方向の「銀行から犯人への送金」ではなく、信用・人事・難案件が絡む循環として整理。

助けた会社を便利に使ったら、その会社の問題まで自分の弱みになったのね!
1990年、巨額借入と問題取引が報道され、疑惑が表面化します。
同年10月、磯田は住友銀行会長を辞任しました。
1991年には河村、伊藤、許らが逮捕・起訴されます。

銀行が社長を送った安心感が、最後は銀行自身への疑いへ反転したんだな。
2005年、最高裁の上告棄却で主要被告の実刑判決が確定しました。
イトマンは1993年に住金物産と合併し、会社名は消えます。
事件は、名門商社と巨大銀行の信用を同時に傷つけました。
まとめ
イトマン事件の怖さは、怪しい会社へ銀行がだまされた話ではありません。
名門の信用と銀行の成功体験が、止めにくい関係を作ったことです。

監視役を置いても、互いの弱みを握れば監視は働かなくなるんだな。

「あの銀行が付いてるから大丈夫」が、いちばん危ない思い込みだったのね。
参考資料
- 最高裁判所第二小法廷決定(平成14年〔あ〕第630号、2005年10月7日)
- 渋沢社史データベース『住友銀行百年史』
- 日本記者クラブ「“天皇”と呼ばれたバンカー 磯田一郎氏を追った2年」
- 日鉄物産「沿革」
- 國重惇史『住友銀行秘史』講談社、2016年
※借入金、問題取引額、刑事裁判で認定された損害額、最終損失は異なる概念です。本記事では同一の「被害総額」として扱っていません。
※本記事は公開資料を基に、企業史と事件の構造を整理したものです。疑惑報道と裁判で認定された事実を区別し、現在の企業や関係者を当時と単純に同一視するものではありません。
※本記事は「東方Project」の二次創作です。キャラクター原作:上海アリス幻樂団/立ち絵素材:うさ義式(うさ義様)/本記事は対象企業および東方Project公式とは関係ありません。


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